2013年4月30日火曜日

ホピの予言(今起きつつある予言)




白人の間でも、我々の土地に十字架を掲げた者たちが現れると言われていた。
全ての先住民にとって悲惨な時代が、この地に長く続くだろうとされていた。
予言された通り、ツルは伸び、西へ北へ、また南へと広がり、全土に急激な変化をもたらした。
悲劇は大地から安らぎを奪った。
彼らは二枚舌で、白黒2つの顔、2つの心を一緒に持っている。
彼らのやり方が明らかになるにつれて、ホピは先祖の言葉が正しかったことを知った。

人間とは心に多くの醜い野望を持ち、一生それを追い続けるものなのだ。

我々ホピは何千年にもわたって、時の始めから続く大霊の定めた生き方に従いながら村で暮らしてきた。
他人を力ずくで自分の思い通りにしようとする、そんな時勢になったことを含め、全ての予言は当たった。
予言されたように、そんな考えがはびこったため、人類は自滅寸前まで来てしまった。

儀式の形式が変わりつつあることも、予言にある「自然の存在を忘れる」ことの証明となろう。

ホピの忠告によって、良いものから悪いものがふるい分けられねばならない。

オライビが分裂してしまった時、外部の強い圧力によってさらに分裂することになるであろうことを、人は心に留めるだろう。





いつの日か、我々自身の子供たちが我々の敵となるかもしれない。
ホピの生き方の聖なるバランスを、学校が崩してしまうからだ。
彼らは伝統の足を引っ張り、人々はマサウウの教えを忘れてしまうからだ。
この破滅の波は我々の村を大きく越え、全世界がバランスを失うことになろう。

予言にあるように、悪い兆候が世界を覆い尽くし、止めることができなくなった時、これら全ての情報を公開しなければならない。

母なる村々は、自己防衛の力を授かっている。
不思議な力だ。
村のきずなを断ち切ろうとする者は、全人類を包み込むような大きな不幸に見舞われるのだ。

昔、西へ向けて大海に乗り出した白い兄弟は、我々が困難に遭遇した時戻って来ることになっている。
彼は聖なるホピの石版を、正しい手にゆだねるのだ。
いつか我々の土地も開発の波に飲まれるだろう。


時空の次元は、人間と自然の関係によって変わってくる。

我々はある生活様式に従って暮らしているが、ライフスタイルを変える者もいるだろうし、新旧ごちゃ混ぜにする者、あるいは正反対の物質優先主義に負けてしまう者もいるだろう。
しかし常に偉大なる掟に従い、共に立ち上がり、それに抵抗する者がいる。

独裁指導者たちが死に絶えたら、悪意に満ちた者たちは彼ら側に立ってくれる指導者を探すことだろう。
善意に満ちた人たちもまた、元々自分たちのものだったものを取り返すのを助けてくれる指導者を探す。

子供たち、いや大人たちでさえ、自分たちの言葉を忘れるだろう。
他部族間、あるいは他種族間の婚姻によって、自分たちが一体何者だったのか分からなくなってしまう。
これらの事柄は全て、我々の長老たちが繰り返し語ってきたことだ。
長老たちは、バハナ(白人)の教育が、我々を這い出ることのできない落とし穴に突き落とすから、気を付けよと教えた。





ホピの予言には、

「もし我々が進歩の名の下に別の文化に身をゆだねることになったら、

失ったものを取り返すことは難しいだろう」

とある。

終わりに向けて起きる事は、我々の不注意が引き起こしたものなのだ。

予言のとおり、最近になって多くの問題が起きてきている。
我々が違うライフスタイルを送るようになってしまった時、この世は終焉を迎えるとされている。

そのうちに、人も世の中も変わってゆく。
ホピの地に派閥ができ、どの生き方が真っ当なのか、ホピ自身が探し、選ばなくてはならなくなる。

多くの者が、偉大なる大霊の法を忘れ、物質文明の法に従うようになったら、終わりの時がおとずれる。
その時になって、富める者や貧しき者、信心しない者たちは、全てを捨てて大霊に救いを求めるだろう。

真のホピの法を守る者や捨てる者が現れることは、予言にある「報いを受けるか、救われるか」という一節が示している。

予言では、白人はとてもしつこく、自分たちのやり方を我々に押しつけるだろうという。
もし彼らが考えを改め、間違いを直せば、その時は誰が救われ、誰が救われないかが決まるだろう。

予言では、時代ごとに、我々が理性を取り戻し、命にとって大切なものが欠けていることに気付く時が来るという。
しかしその時が来ても、我々は自らがどこにいて、何をしてきたのかを省みることなく、ただ恐怖を抱いたまま、また同じ道をたどることになる。

自分に確信がないから、一歩進んでは一歩下がり、ということを繰り返すのだ。
これはホピの地だけではなく、どこの世界でも起きていることなのだ。

たったふたりか3人、正しき心を持つ者がいれば、神聖な使命は果たせるのだ。
いや、たったひとりでもいい、真に正しき心を持つ者がいればいいのだ。





時は過ぎ、我々のいにしえ人の予言が現実のものとなってきた。

これからまだまだたくさんの大きな出来事が待っている。

これから我々は、いにしえ人の言葉が正しかったことを、驚きの目で見ることになるのだ。

長生きせよ。この先に偉大なる、素晴らしい冒険が待っている!